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公園変遷

 現在の松風公園は先史・石器時代からの遺跡があるところに立地しています。谷津田耕作とその周りの薪炭林は古墳時代には埴輪の窯があったことから、その頃から燃料として使われていたことが推測されます。
はにわの丘公園にある「桜山窯跡群」遺跡にあるイラストの説明板からは、斜面に登り窯が作られ近隣の古墳造営の為の埴輪が長い間大量に作られていたことがわかっている。
松風公園の変遷
「呉器谷」と呼ばれる谷戸。左の2つの沢が合流し、狭い谷津田を経て直線の堰堤があるため池(今の地獄坊池)に流れる。周りは薪炭林の丘陵地帯だった。
 
「高坂ニュータウン」の工事が始まり取り付け道路が作られ、谷津田は開発のために持ち主の手から離れたためか、草地になっている。左手に動物園施設建設のための造成地が見える。(沢が埋め立てられた)
 
「高坂ニュータウン」街開きの年。住宅ができ人が住みだした。公園は整備され開園した。公園内は埋め立てられた谷津田は芝生の土が見えるし、砂利の白い色が新しさを感じさせる。北側の造成地は計画が変わって手がつけられていないため松が勝手に成長している。左手動物園内には温室ができた。
 
公園は緑が深くなった。北側の住宅造成が進み住民が生活するようになってきた。まだこの写真では公園側には住宅がないが、2年後には全て完成し、公園内にも夜間の明かりが届くようになった。この頃は新入居者や近隣の方々の夏の風物詩としてあふれんばかりのホタルが鑑賞できた。
 

松風公園(高坂丘陵1号公園)、松風緑地(高坂丘陵1号緑地)は公園という管理状態で残った。幸運なことに「自然豊かな」状態が散歩などで確認できる。ただ、「里山放棄地」な為、生物多様性からは決して良い環境とは言えなくなってきている。例えば、谷津田の名残の菖蒲田は成長の早いクヌギやコナラが大木となって覆い、陽が差さなくなってきている。薪としての生産活動が終わってしまったクヌギコナラは大木となってしまい、枯れない限り伐採もされないので暗い林になってきている。